
納期目安:
06月02日頃のお届け予定です。
決済方法が、クレジット、代金引換の場合に限ります。その他の決済方法の場合はこちらをご確認ください。
※土・日・祝日の注文の場合や在庫状況によって、商品のお届けにお時間をいただく場合がございます。
不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款
閉じる「香煙引到楚香処」白氏文集の有名な漢詩
閉じる仙台藩医・木村寿禎の落款
閉じる原本の断層画像写真
閉じる大君と中の君を見る薫の君(源氏物語/国宝)
閉じる琵琶を弾く匂宮と中の君(源氏物語・国宝)
閉じる左は薫の君、右は大君と中の君(総角の絵)
閉じる左が源氏の君、右が明石皇后(匂宮の母)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵(断簡)を出品 | ||||
商品説明(来歴) | 大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の旧所蔵である。近衛基熙は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を書いてある。出品した大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに近衛家から出雲松江藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)に伝わり、方子の生家である仙台藩から同藩の藩医・木村寿禎に伝来していたものである。 | |||
漢詩文 | 原文上部に「香煙引到楚香処」(香煙引き到る、楚香の処)の漢詩文の落款が押捺されている。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。 源氏物語「総角」原本に記されております。紫式部が「総角」を書くに際し、「白氏文集」の漢詩を熟読したうえで「源氏物語」の「総角の巻」を書いていることがわかります。この原詩の言葉の引用は、「総角の巻」に用いられていることで広くしられている。紫式部がこの原詩に親しんでいたと推定されている。 | |||
漢詩の落款の意味 | 原本上部の漢詩の落款は、「讃」と称されるもので、古来、掛軸の書画に第三者がお褒めの言葉を書き込むもので元々は自筆でした。貴族から始まり藩主、あるいは高名な茶人や僧侶が書かれて、それが茶会の「掛軸」に装丁されて披露されておりました。 特に出雲・松江藩などの茶道の盛んな大名家の所蔵する自筆などに「讃」が付され、後に自筆に代わり、石刻による「漢詩」の篆書が「讃」として用いられました。 「茶事」は、「ヨーロッパの晩餐会(ばんさんかい)」とも言われます。晩餐会では、「ワインを楽しむために行われる」ところも似ています。とりわけ、茶室に入って行うことは、床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)することです。茶道では「掛け軸は最高のごちそう」といわれております。とりわけ、漢詩の落款は、ただ、古典の漢詩を入れればいいという単純なものではなく、たとえば、「源氏物語」の場合、原本の中に込められている紫式部が考えた知識を読み解くことにあります。「讃」の中に有名な白楽天の漢詩を単純に落款として入れたのではなく、紫式部が原本の中に白楽天の漢詩を読み込んでいることを知ったうえで漢詩を選んでおります。 落款の「讃」の元になるその原文の個所には、 「香煙引到楚香処」(香煙引き到る、楚香の処)の漢詩文の落款が押捺されている。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。 つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。 | |||
自筆の希少価値について | 自筆の稀少価値は、和紙の生成技法の緻密さにあります。上の「拡大断層(MRI)写真」でわかる通り、極めて薄い和紙の上に墨の文字がくっきりと浮き上がるように「源氏物語」の文字が記されております。 出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。 古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。撮影後、展示のために再表装をしております。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。 | |||
断層(MRI)写真 | 従来、日本の古美術の鑑定の際の分析・解析は、エックス線写真、赤外写真、顕微鏡が中心です。一方、アメリカやイギリスでは研究が進み和紙の組成状況を精確に分析・解析をするために断層(MRI)写真が利用されており、今回の出品に際し、「断層(MRI)写真」を資料として出しました。本物を見分けるための欧米の進んだ分析・解析技術を見ることができます。 | |||
寸法 | 「源氏物語」自筆の大きさ タテ21.8センチ ヨコ12.8センチ。額縁の大きさは タテ37.0センチ ヨコ28.0センチです。額縁は新品です。 | |||
「源氏物語」の自筆について | 1・筆跡の分析について 国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。 一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。 2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について 自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。 「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。 3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について 近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。 4・近衛基熙(このえもとひろ)について 近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。母は後水尾天皇皇女女二宮。実母は近衛家女房(瑤林院)。幼名は多治丸。。美品 抹茶碗 玉堂窯 色絵松乃絵 茶碗 二代 玉堂 口径12cm 玉堂陶苑 二代 手塚玉堂 茶陶 美術陶器 茶道具 共箱入り保管品。【八八八】須田祥豊 青井戸 茶碗 ◆共箱 共布 茶道具 抹茶碗 【x-036】。茶道具 抹茶茶碗 黒楽 覚入写 兎の絵、佐々木昭楽作、桐共箱■新品■。【現状渡し】 祥平造 杉田祥平造 茶碗 茶道具 友箱 レトロ (o3。◆茶道具◆久世久宝造 三葉 茶碗 十二代妙玄斎(松尾宗典)書付◆共箱。桃山 江戸 時代 瀬戸 古瀬戸 茶入 精中宗室 裏千家 十一代 玄々斎花押 鑑定箱 共袋 古裂。旧家蔵 仁清手銀彩山水茶碗 九寶窯 印有 共箱付 表千家十三世即中斎極花押 美品 銀焼貫山水画 山万?の印有 茶席,盆点前,野点,茶箱,短冊箱。真清水蔵六作 楽茶碗 極め箱 箱付き ベストセラーランキングです近くの売り場の商品カスタマーレビューオススメ度 4.9点 現在、3069件のレビューが投稿されています。 |
自筆「源氏物語」の「総角(あげまき)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。
「総角の巻」の主人公は、源氏の君と女三の宮の皇子・薫の君と今上帝天皇と明石中宮の皇子・匂宮のきらびやかな恋物足りが描かれている
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。現在の今上天皇と系譜がつながっている。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。また、各巻ごとの書かれた年については不明。従って、応永五年とは、書き始めの年である。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。。茶道具 抹茶茶碗 干支 辰、仁清 雲龍、干支茶碗、京焼 田中万祥作、桐共箱 新品。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。。ff20-7453[GGG] 加藤幸兵衛 幸兵衛窯 赤絵四方皿 五客 共箱 懐石道具。素敵な作品 平安京泉 馬場京泉 京焼 唐子文 茶盆 共箱(検索 茶道具 茶道 茶碗 小堀遠州 遠州好 表千家 裏千家)。【茶道具】名陶工 如拙庵 須田祥豊 色絵 扇流し茶碗 淡々斎箱書付 四方桟桐共箱 白布 裏千家 保証品。4229 小川裕起夫(三代・小川長楽)赤茶碗 無キズ 共箱。<最終値下げ>青木木米 摸志野茶碗 味わいのある逸品 希少な共箱 m407。小山富士夫(古山子)茶碗 昭和39年作 s572。◆秋峰 色絵草花茶碗 久田流十二代 尋牛斎 花押◆b449。<河井寛次郎 緑花碗 穏やかな和の味わいの名品> v435。桃山~江戸時代 瀬戸黒茶碗 瀬戸黒 瀬戸焼 古瀬戸 美濃焼 茶碗 茶道具。3 名品!!アンドシュプローデル 造「楽焼茶入」 フタ無し 黄瀬戸写し? 検)楽吉左衛門直入。【真作保証】■ 高橋道八 ■ 色絵銀彩 波濤に鶴旭日文 茶碗(箱無) <230724025>。藤井又右衛門蔵品 御茶道具 江戸時代 本如上人 手製 赤楽 茶碗 2重箱。茶道具 抹茶茶碗 乾山写 紅葉絵、京焼 中村秋峰作、桐共箱 新品。前漢の武帝王が美しい李夫人の死をいたみ「反魂香」を九華帳(漢王の寝室にかける,幾重もの花模様のついた,美しいとばり)の中で香を焚くと、美しい夫人の魂が煙に導かれ魂を呼び返してその姿を煙の中に夫人の姿が現われる。紫式部が「若紫」を書くに際し、「白楽天」の漢詩を読み理解したうえで、「総角」の中の「大君が父君の八の宮を呼ぶべき煙がほしい」という意味から総角の原文の中で、「人の煙にありけむ香の煙そ、いと得まほしくおほさるる」と書いていることから紫式部が「白楽天」のうち「李夫人(りふじん)」の「反魂香(はんごんこう)」の漢詩に共鳴していることがよくわかる。押捺の詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」総角(あげまき)の巻》
「総角」の巻は英文で「Trefoil Knots」と表記されます。
《自筆上部の「香煙引到楚香処」(香煙引き到る、楚香の処)という漢詩文の落款が押捺されている。。楽吉左衛門十二代 弘入 黒 黒楽 楽茶碗 表千家十二代 惺斎 印。初代小川長楽 黒平茶碗 楽茶碗 馬盥「茶道具・抹茶茶碗」共箱 【真作保証】 送料無料。【茶】今井 政之 黄伊羅保 茶碗 文化勲章受章。神楽窯 清水公照 塩筒茶碗 趣ある姿の逸品☆c571。【梟】茶道具 赤膚焼 尾西楽斎造 刷毛目 茶碗 赤膚山 赤ハダ 時代 抹茶碗 抹茶茶碗 奈良 萩焼 古玩。【八八八】平安 橋本美峰 色絵 冠鶴 茶碗 ◆共箱 共布 茶道具 抹茶碗 【d-004】。茶道具 抹茶茶碗 掛分 「虎」、 京焼 秋峰窯 中村良二作。※即決※ 永楽善五郎 染付冠手茶碗★味わいのある絵付け★u572。茶道具 抹茶茶碗 色絵 七夕(たなばた)画 笹と天の川、京都 相模竜泉作、桐共箱 新品。
《「源氏物語」総角(あげまき)の巻》
《「香煙引到楚香処」(香煙引き到る、楚香の処)という漢詩文の落款が押捺されている。この漢詩は「白楽天」のうち「李夫人(りふじん)」の中の有名な一節で「白氏文集」に由来するものです。。<瑞山 松原絵茶碗 堀内流十二代 兼中斎 宗完花押> v410。504022 【 ほぼ未使用 茶道具 平安 祥悦造 赤楽 茶碗 写 長人作 陶印 共箱 】 検) 煎茶道具 茶事 茶会 茶器 茶具 お点前 和物 来客 ⅰ。茶道具 抹茶茶碗 乾山写 鶴絵、京焼 中村秋峰作、桐共箱 新品。いかならん折に、
かはかりにても、物ちかく、御聲をたに聞きたてまつらん」と、
「あはれ」とおほゆ。「すいたる人の、おほゆましき心遣ふらんも、
かうやうなる御中らひの、さすかに、氣遠からす入(いり)たちて、
心にかなはぬ折のことならんかし。わか心のやうに、ひかひかしき
心の類やは、又、世にあむへかめる。
それたに、猶、動きそめぬるあたりは、・・・・《えこそ思ひたえね」》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。
《「源氏物語」総角(あげまき)の巻》
《桐壺天皇の皇子・八の宮の御子・大君と中の君と薫の君、匂宮の恋物語》
《匂宮(今上天皇の皇子)と中の君(桐壺天皇の皇子・八の宮の姫君)の三日夜の婚儀の儀式の準備》
《匂宮(今上天皇の皇子)母宮(明石中宮・今上帝の皇后)の諫めにそむき宇治に行く》
《中納言(薫の君)、匂宮の母宮(明石中宮・今上天皇の皇后)と対面》
《中宮(明石中宮・今上天皇の皇后)の御方に中納言(薫の君)が参上なさると、
(明石中宮・今上天皇の皇后)「宮(匂宮・今上天皇の皇子)はとうとうお出かけになったようですね。
あきれた情けないお人です。あの様子を見て人がどう思うでしょう。
主上(今上天皇)のお耳に入ったら、》・・・・・私がお諫(いさ)め申しあげないのは
不行届きだとお叱りをこうむるのがつらくて」
と仰せになる。
この母后の宮(明石中宮・今上天皇の皇后)は、大勢の御子たちがこうしてご立派に
成人あそばしているのに、ご自身はますますお若く美しいお姿が以前にまさっていらっしゃるのであった。
中納言(薫の君)は、
(薫の君)「女一の宮(今上天皇の皇女)も、きっとこのようにお美しくいらっしゃるのであろう。
なんぞの折にせめてこれくらいおそば近くでお声なりとお聞き申したいもの」
と、中納言(薫の君)は、せつないお気持になる。。旧家蔵 佐々木松楽造 白楽茶碗 銀泥雲 印有 侘び茶 千利休 茶箱,短冊箱,口切~風炉の席,茶道,華道,和室に!炉 昭楽窯 貫入 箆目 胴締め。2 名品!!アンドシュプローデル 造 「焼き締め楽茶碗」検)楽吉左衛門直入。FH16 京焼 茶碗 竜谷窯 宮川香雲 大徳寺 小田雪窓 筆「龍」 共布・共箱 茶道具。◆ 四代 清水六兵衛 蕪の絵 茶碗 ■ 共箱 陶印 ■ 茶道具 / 抹茶碗 / 煎茶碗 / 古美術品 / 清水 六兵衛 蕪 藤201。茶道具 抹茶茶碗 色絵 山帰来(サンキライ)画、京焼 相模竜泉作、桐共箱 新品。
《Trefoil Knots (総角)》
She was the mother of a considerable band of grown children,
and she only seemed younger as the years went by.
No doubt her oldest daughter, the First Princess, was very much like her.
He thought it a great pity that the occasion had been
denied him to approach the daughter, if only to hear her voice,
as he was now approaching the mother.
It was probably in such a situation, he mused―
when the lady was neither distant nor yet near enough to come at a summons―
that the amorously inclined young men of the world tended to
have improper thoughts.
Was there anyone as eccentric as he?
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《総角》
皇上知了,定将怪我不加管束,教我怎?”
皇后所生多皇子,皆已大成人,但自己越得青春貌美了。
薰中言想道:“大公主一定得和母后一美貌。
但愿有个机会,使我得像在皇后一般接近,至少听听的音也好。”
他不神往。而又想:“世好色之徒,不恋的人寄予相思,
正是由于具有此系,即并不疏,却又不能接近,因而生的。
像我性情乖僻的人可世无其了。
然而一旦情了那个人,相思之苦便不堪言。”
中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
注記・中国語の文字の一部がシステムの関係で反映されない場合があります。この場合、落札後に正確な中国語の文字を記載した中国語訳文を交付いたします。
左の写真2枚が「源氏物語」総角の巻の末尾(原本番号88-B)右面と左面の押印。
写真一番左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。冬姫は内大臣・通誠の養女。
冬姫は通称。正式な名は伊達貞子。左端の写真は「総角の巻」末尾の拡大写真。
左上の篆書体は、「香煙引到楚香処」(香煙引き到る、楚香の処)の押印。
篆書体の下の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・玉映の落款
写真左から2枚目上の2つの印は仙台藩医・木村寿禎の落款
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。。五代 清水六兵衛 刷毛目鉢 共箱 未使用 茶道具 菓子鉢 懐石 京焼 a1625。【中古】三代中村道年造 茄子の画 赤楽茶碗 共箱入り。楽吉左衛門 一入 楽茶碗 四代 赤茶碗 箱 検索:ノンカウ 吉左衛門 了入 樂 楽 表千家 宗左 徳川家 御庭焼 一元 光悦。茶道具! 土渕とうあん ☆花結晶・瑠璃平茶碗☆ KTA539 木箱入り 新品 夏茶碗 京焼 建水 蓋置 ギフト。佐々木松楽 一双 松楽造 赤楽 黒楽 茶碗 茶 臨済宗 大徳寺派 太玄和尚 前大徳寺 小林太玄 書付 茶道具 抹茶碗 楽茶碗 楽焼 京焼 共箱入。茶道具 楽焼 十二代 楽吉左衛門(弘入) 風炉 半岡 共箱 真作保証。茶道具! 香菊 ☆色絵鉄線平茶碗☆ TZH627 新品 夏茶碗 抹茶碗 京焼 建水 蓋置 ギフト。茶碗■赤膚焼 「尾西楽斎」 黒楽小茶碗 遠州七窯 黒釉 お茶道具 古美術 時代物 骨董品 希少■。茶道具 抹茶茶碗 乾山 流水に紅葉、 京都 山川嘉山作 化粧箱■新品■。30770/○真葛香斎 如星茶碗 金彩色絵 共箱 抹茶碗 茶道具。【睦】黒楽筒茶碗 荒神窯 永吉渓滋造 黒楽 茶道具 抹茶茶碗 共布 共箱■。おうち時間 茶道具 抹茶セット 京都宇治抹茶 30g入り お稽古 プレゼント。茶碗■寿月造 黒楽朱釉茶碗 銘 常窓家?常野 切り共箱 お茶道具 古美術 時代物 骨董品■。河井寛次郎 辰砂花碗 美しい作品 s431。小西平内 太閤窯 ★ 黒楽 茶碗 ★ 共箱 仕覆 ★ 縁: 川喜田半泥子 ★ 山道が素晴らしい気品溢れる逸品 ★ 茶道具 ★ 有馬。大雅堂3237 平安 楽焼 四代一入造 黒楽茶碗 小振り 美品 本物保証 抹茶道具茶道具茶席道具 越前蔵うぶ出し。茶道具 お稽古 おうち時間 抹茶6点セット(抹茶 抹茶碗 茶筅 茶筅休め 茶杓 抹茶の点て方説明書) 舞妓さん デザイン (碧釉茶碗)。【涼風庵】朝日豊斎 作 鹿背茶碗 共箱 茶道具 松林豊斎 朝日焼。楽十一代 慶入 香炉 彷歌窯 純銀 蓋 茶碗 二重箱 保証品。大徳寺派 管長 【立花大亀】【加藤利昇】乾山写 山桜茶碗 桐共箱 底部在銘 茶道具 美品。30552/○川崎和楽 楽焼 嶋台茶碗 共箱 抹茶碗 茶道具。30577/○佐々木松楽 赤楽茶碗 前大徳寺高橋悦道箱書付 花押在 共箱 抹茶碗 茶道具。(美術年鑑の評価額有)徳川家康は伏見城で豊臣秀吉に代わり天下の政治を執り行う・大槻磐渓・自筆「日本外史」茶道・1-B。茶道具! 土渕とうあん ☆花結晶・はなだ平茶碗☆ KTA540 木箱 新品 京焼 夏茶碗 建水 蓋置 ギフト。真葛窯 宮川香斎(造) 常盤(松図)茶碗 共箱 未使用 茶道具 京焼 a1979。檜垣青子造 久田宗也 尋牛斎 書付 黒茶碗 銘 松風 茶道具 保証品 共箱 画像10枚掲載中。【八八八】七世 吉向松月 小浜雅俊氏 遺筆 福之字 茶碗 ◆共箱 黄布 茶道具 抹茶碗 【x-148】。明治期 田村製 銀植線 菊に唐草模様 七宝茶碗 田村七宝。龍喜窯 斗々屋茶碗 共箱 茶道具 現代工芸 陶磁器 美品 z3978k。茶碗 京焼 仁清写菖蒲文 平安 桐鳳 837。◎茶道具 四代・諏訪蘇山 青瓷茶碗 桐共箱。朝鮮釉茶碗 晴雲山 宇野仁松 師 清風与平 宇野宗甕 京焼 茶道具。桐壺天皇の皇子・八の宮と中将の君との御子・浮舟(大君/中の君と異母姉妹)と薫の君、匂宮の恋物語・自筆「源氏物語」東屋の原文/茶道8-B。京焼 金砂子槍梅 茶碗 小倉亨 造。永楽善五郎 十六代 即全 仁清写高砂茶碗 共箱!o329。藤平寧 茶碗 共箱 共布 栞付。茶碗■古い楽茶碗 鼠釉 お茶道具 抹茶碗 古京焼 古美術 時代物 骨董品■。504010 【 ほぼ未使用 茶道具 赤膚山元窯 七代尭三作 茶碗 薬師寺 長臈秀胤 花押 陶印 共布 共箱 】 検) 作家物 煎茶道具 茶懐石 茶事ⅰ。A1379 初代 矢口永寿 古稀 作 安南 高砂 茶碗 共箱付 ☆ 茶道具 茶器 抹茶道具 茶懐石 茶事 抹茶碗 陶器 作家物 在銘 陶印 美品 良品 無傷。赤楽 茶碗「お福く」在銘 共箱 検索:十一代楽吉左衛門「慶入」 表千家 十一代 碌々斎花押 宗左。【骨董・茶道具】★清閑寺窯 杉田祥平 楽只軒印★★赤地金彩兎画茶碗 ej036xb.。茶道具! 藤平正文 ☆雪さくら抹茶碗☆ 新品 抹茶 茶碗 京焼 ギフト。金彩色絵 仁清松竹梅文茶碗 仁清銘あり 桐箱 茶道具 現代工芸 美品 b7991s。【骨董・茶道具】★京焼 真葛香斎★★常盤茶碗 eh032tgl。小峠葛芳(造)刷毛目 松乃絵 菓子鉢 丹山窯 懐石 色絵金彩 共箱 共布 茶道具 未使用 京焼 a1110。浦上善次 備前 備前焼 虎 香合 共箱 共布 ☆ 師:西村春湖 / 北村西望 ☆ 小品ながら見事な細工の逸品 ☆ 香道具 岡山県重要無形文化財。茶道具! 土渕とうあん ☆花結晶・銀藤平茶碗☆ TC541 木箱 新品 京焼 建水 蓋置 ギフト。染付雲堂茶碗 川瀬満之(作) 共箱 茶道具 未使用 京焼 a1144。佐々木昭楽 光悦写 雪片 筒茶碗 共箱 未使用 赤楽 茶道具 直径9cm 縦10cm 画像10枚掲載中。吉村楽入 馬盥 茶碗 朝顔 京焼 楽焼 茶道具 平茶碗 画像10枚掲載中。河井寛次郎 鉄薬碗 風格のある作品 s446。桃山時代 瀬戸 古瀬戸 茶入 富士山 共箱 共袋 古裂。茶碗■永楽善五郎 筒茶碗 白 貫入茶碗 古京焼 お茶道具 古美術 時代物 骨董品■。杉田祥平 清閑寺 色絵 金彩 干支亥画 茶碗 抹茶茶碗 在銘 共箱 祥平 茶道具 H-20。【閑】煎茶道具 三浦竹泉造 染付『メダカ尽くし文』煎茶碗(五客)金継ぎ有★時代物★4D1212。d722 技工名品 名工 八世 乾山 山本如仙 金彩 紅白梅絵 茶碗 抹茶碗 仕立箱 美品 茶道具。茶道具 仁清写撫子 茶碗 京焼 平安 瑞雲造 金彩色絵 共箱 旧家蔵出し 送料込。【F0142】茶道具 竜谷窯 宮川香雲 茶碗 臨済宗 大徳寺506世 小田雪窓 自筆 『龍』 一字 箱書 共箱。◆◇清閑寺窯 杉田祥平 御本立鶴画 茶碗■茶道具◇◆。茶道具 ◆ 抹茶碗 「 浮彫 南天に雪兎」 京焼 清水焼 三四郎作。楽入 日の出茶碗 茶碗 お茶道具 京焼 楽焼 KYOTO WARE Japanese Green tea bowl Matcha 共箱 中古美品。茶道具 抹茶茶碗 黄交趾、 波兎 (なみ うさぎ) 三友紋、 京都 中村翠嵐作、桐共箱 新品。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。
不昧公 公卿 肉筆 保障 保証 真筆 真筆 親筆 古筆 本物保証 本物保障 室町 掛軸 掛け軸 自筆 天皇 茶道具 宗鑑 良寛 伝来 歌仙 極め 極札 極め札 鑑定